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ご挨拶
当社は、慶長2年(1597年)に創業され、国内の製薬会社の中では 歴史が一番古いとされています。
創業以来、宇津救命丸は沢山の方々に愛用され、その小さな粒には すぐれた効き目と共に、400年間の経験と信頼が詰まっております。現在はその長い経験を生かし、「飲みやすい確かな薬」の開発をテーマに、国内唯一の子供専門の総合医薬品メーカーとして、多品種に渡った お子さま専用の薬を開発し、販売致しております。
これからも「赤ちゃんとお子さまの健康」を願いながら、より安全で 有効な飲みやすい製品の開発に努め、一人でも多くのお子さまの健康に 貢献させていただけることを願っております。
今後ともよろしくご愛顧のほどお願い申し上げます。
- 宇津救命丸株式会社
- 代表取締役
- 宇津善博
会社概要
| 社名 | 宇津救命丸株式会社 |
|---|---|
| 設立 | 昭和6年2月26日 |
| 資本金 | 4,800万円 |
| 本社 | 東京都千代田区神田駿河台3-3 |
| 工場 | 栃木県塩谷郡高根沢町上高根沢3987 |
| 代表取締役社長 | 宇津善博 |
| 事業内容 |
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| 取引銀行 |
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| 主要取引先 |
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- アクセス
- 東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」より徒歩1分
- 都営新宿線「小川町駅」より徒歩3分
- 東京メトロ丸の内線「淡路町駅」より徒歩5分
- JR・東京メトロ丸の内線「御茶ノ水駅」より徒歩8分
- 東京メトロ半蔵門線・都営新宿線・都営三田線「神保町駅」より徒歩10分
沿革
| 1998年(平成10年) | 10月 本社新社屋完成 |
|---|---|
| 1988年(昭和63年) | 5月1日 第18代宇津善博 代表取締役社長に就任 |
| 1984年(昭和59年) | 11月20日 「宇津こどもかぜ薬」発売 |
| 1983年(昭和58年) | 12月21日 会社定款を変更し、食料品他を追加する |
| 1976年(昭和51年) | 1月12日 資本金4,800万円に増資 |
| 1972年(昭和47年) | 宇津家敷地内に宇津史料館設立 |
| 1961年(昭和36年) | 現工場落成 |
| 1959年(昭和34年) | 本社を東京都千代田区神田駿河台に移転 |
| 1955年(昭和30年) | 「株式会社宇津権右衛門薬房」を「宇津救命丸株式会社」に社名変更 |
| 1943年(昭和18年) | 金使用禁止令により、以後、金粒を銀粒にする |
| 1931年(昭和6年) | 「株式会社宇津権右衛門薬房」設立 本社 東京市麹町区飯田町1丁目7番地 商品名を「小児良薬 宇津救命丸」に名称変更 |
| 1929年(昭和4年) | 東京出張所を東京市麹町区飯田町に置く |
| 1919年(大正8年) | 東京神田に出張所開設 |
| 1906年(明治39年) | 現在の問屋ルートにのせて全国発売 |
| 1673年(延宝1年) | 9月21日 「金匱救命丸」と命名 |
| 1597年(慶長2年) | 10月13日 初代宇津権右衛門が野州高根沢西根郷に帰農後、宇津の秘薬(救命丸)を創製 |
略史年表
| 1928年(昭和3年) | 薫 十六代権右衛門を継ぐ | 関東大震災(1923年) |
|---|---|---|
| 1911年(明治44年) | 「宇津救命」「二人子供」の商標を登録す | 第一次世界大戦(1914年) |
| 1909年(明治42年) | 金匱救命丸を「小児薬王宇津救命丸」に変更す | 日露戦争(1904年) |
| 1893年(明治26年) | 廉造 十五代権右衛門を継ぐ | 日清戦争(1894年) |
| 1892年(明治25年) | 宇津家敷地内に書院落成 | |
| 1886年(明治19年) | 重華 十四代権右衛門を継ぐ | 大日本帝国憲法が発布(1889年) |
| 1885年(明治18年) | 「小児薬王金匱救命丸」の免許を受ける | |
| 1876年(明治9年) | 「金匱救命丸」の売薬免許を受ける 同年「私立宇津学校」開校 |
西南戦争(1877年) |
| 1873年(明治6年) | 重剛夭折のため重善再び十三代権右衛門を継ぐ | 廃藩置県(1871年) |
| 1868年(明治元年) | 重剛 十二代権右衛門を継ぐ 同年 明治と改元 江戸を東京と改称 |
江戸幕府が倒れ、江戸が東京に改められる(1868年) 桜田門外の変(1860年) |
| 1854年(安政元年) | 重善 十一代権右衛門を継ぐ | 日米修好通商条約を締結(1858年) 安政の大獄が起こる(1858年) |
| 1852年(嘉永5年) | 宇津家の菩提寺淨蓮寺再度焼失 | ペリーが浦賀に来航(1853年) |
| 1847年(弘化4年) | 宇津祐衛門藤原重周 宇都宮二荒山神社に石灯籠を奉納す | |
| 1846年(弘化3年) | 宇津祐吉重善 宇都宮二荒山神社に石の鳥居を奉納す | |
| 1840年(天保11年) | 再建された淨蓮寺に宝篋印塔を奉納す | 天保の改革(1841年) アヘン戦争(1840年) |
| 1836年(天保7年) | 江戸の問屋筋に金匱救命丸を配る 同年 御領主一橋公に金匱救命丸を献上す 塩谷郡須両郡凶作のため救済金を贈る |
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| 1835年(天保6年) | 重業 宇都宮二荒山神社神楽殿再建の世話役五人衆となり奉納す | |
| 1832年(天保3年) | 江戸をはじめ地方の宿場 227戸に金匱救命丸を年始として配る 同年 重業 十代権右衛門を継ぐ |
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| 1823年(文政6年) | 金匱救命丸の通帳(註文書)=白河 野州足利 葛生 中山道下諏訪地区 | |
| 1821年(文政4年) | 重周 九代権右衛門を継ぐ | 伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』が完成(1821年) |
| 1810年(文化7年) | 重方 八代権右衛門を継ぐ(薫記) | |
| 1806年(文化3年) | 重之 苗字帯刀御免となる | |
| 1803年(享和3年) | 金匱救命丸の通帳(註文書)=下総 木野崎地区 | |
| 1796年(寛政8年) | 重之 五代重上の偉業を後世に遺すため「逸翁略伝」を記す 宇津家では逸翁を中興の祖と称されている |
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| 1795年(寛政7年) | 重之 七代権右衛門を継ぐ(薫教) | |
| 1784年(天明4年) | 重真 苗字帯刀御免となり名、塩谷、芳賀両郡の取立役となる 同年重之 子孫の為に「製薬信條」を記す |
寛政の改革(1787年) |
| 1781年(天明元年) | 宇津家薬師堂再建なる | |
| 1779年(安永8年) | 重真 六代権右衛門を継ぐ | アメリカ独立戦争(1775年) |
| 1747年(延享4年) | 御領主一橋公に金匱救命丸献上 | |
| 1717年(享保2年) | 重上 五代権右衛門を継ぐ(逸翁) | 享保の改革(1716年) |
| 1709年(宝永6年) | 重上 15歳にして江戸に医術を学ぶ | |
| 1707年(宝永4年) | 宇津家の菩提寺淨蓮寺焼失のため、多数の古文書を失う | |
| 1692年(元禄5年) | 重次 四代権右衛門を継ぐ | |
| 1688年(元禄元年) | 重直 苗字帯刀御免となり名主となる | |
| 1659年(万治2年) | 重直 三代権右衛門を継ぐ 同年 宇津家敷地内に薬師堂建立す |
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| 1638年(寛永15年) | 重道 二代権右衛門を継ぐ | 島原の乱(1637年) |
| 1617年(元和3年) | 宇津家は半農半医で人々のために施薬をして「お薬」が作られた | 大阪夏の陣(1615年) 宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島決戦(1612年) |
| 1603年(慶長8年) | 徳川家康 江戸に幕府を開く | 関ヶ原の戦い(1600年) |
| 1597年(慶長2年) | 下野国の国主、宇都宮家の滅亡により同家家臣宇津権右衛門は、野州塩谷郡高根沢西根郷に帰農す(初代権右衛門) | 豊臣秀吉 没(1598年 ) |