宇津救命丸株式会社

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2016年8月 アーカイブ

2016年8月11日

秋葉原中華街

もちろん、秋葉原に中華街なんてありません。
でも、秋葉原界隈は中国からの旅行客で溢れ、街には中華
街と思わせるような中国語の看板が氾濫してます。爆買い
は一時ほどではないようですが、旅行客はむしろ増えてる
感じ。アジア人に加えて西洋人も多く、その上夏休みなの
で凄い人です。


秋葉原はうちの会社から歩いて1キロほどなので、むかし
から運動がてらによく歩いて行ってました。
以前は秋葉原は電気街として名をはせ、○○電気とか○○
家電といった大型家電店が立ち並び、安く家電を買いたい
人が何軒も店を回って価格交渉。また、電子部品を買い求
める人で賑わってました。私もよく冷蔵庫やテレビ・ステ
レオなどを買いによく行ったものです。
むかしうちの会社にいた人は、電池が安いとわざわざ買い
に行ってました。


もっと以前はラジオの部品やジャンク品を売っていたそう
で、秋葉原で無線といえばラジオのことらしいです。
いまでもあるラジオ会館や○○無線という店名はその名残。


さらにさらにそのむかし、江戸時代には秋葉原に船着き場
があったそうで、以前NHKのブラタモリでその検証をし
てました。救命丸も、栃木から江戸に届けるときは、船で
川を下り、秋葉原で陸揚げしたそうです。


その後、パソコンやゲーム器、CDやレコードを売る店が
増えましたが、バブルが崩壊して家電の消費が落ち込み、
倒産した大型の家電店もいろいろありました。
カメラ屋さんが家電量販店に発展すると、家電を求める人
の波は秋葉原から新宿や池袋、有楽町に流れていき、秋葉
原の景色が変わっていきました。

ここには○○電気の大きな店舗がありました。
イシマル066 (1).JPG


こっちは○○○○電器のショールーム跡。結婚したころ、
照明器具を見に来たことがあります。
イシマル066 (2).JPG


その後、秋葉原はオタクの街として変身。パソコンやゲーム
ソフトがオタクの街の原点かもしれません。駅前のラジオ
会館も以前は電子部品店が並ぶビルでしたが、数年前に建
て替えると、95%がオタク、いやマニアの店になりました。
その中に私の行くプラモ店もあるのです。

ラジオ会館
ラジオ062.JPG


10階以外はホビーの店。店名を見ただけでは何の店かわかり
ません。
店舗054.JPG

なぜか不思議なことに、秋葉原にはプラモデル店や鉄道模
型店が沢山あります。まあ、マニアもオタクも同じような
ものだから不思議じゃないか。


秋葉原はAKB発祥の地でもありますが、一時はメイド喫
茶が乱立し、メイドの格好をした若い女性がそこらじゅう
でビラを配ってました。そこにオタクが呼び止められ、そ
の子の後についてお店へ。その後ろ姿を見てると日本の将
来は・・・いえ、私は絶対行ったことありません!
でも歓楽街のバーの客引きは違法なのに、メイドの客引き
はいいのかなぁ。

総武線のガードの右側に並ぶオタク・・いや、マニアの店。
家電065 (2).JPG

左側は家電店と面白い風景。
家電065 (1).JPG


駅前はオタクとゲームと家電の店がゴチャゴチャ。
メイドさんもいます。
バス006 (2).JPG


そして、いまや外国人が溢れる街に。とくに中国からの観
光客が多く、どこもかしこも中国語の看板。

オタクの店にも中国語の看板。オタクは世界共通語とか。
ボークス056.JPG


バスがひっきりなしに到着し、ときには二重駐車して警察
に怒られています。
バス006 (1).JPG

離れたあちこちにウエイティングするバスが。
待機070.JPG


外国の観光客を見込み、ドラッグストアやバラエティ
ショップも増えました。店頭では店員さんが中国語で案内
し、日本人は入りづらい雰囲気です。


中国からの観光客は、以前は明らかに日本人と違う服装で
したが、最近は見分けがつかなくなりました。そういえば
以前の日本人観光客は、ジャケットに眼鏡、カメラを持っ
て、中にはちゃんとネクタイをして・・・日本人ってすぐ
にわかったそうです。


そういえば一時秋葉原に新しいタワー(いまのスカイツリー)
が建つという話がありました。もし、これが建ってたらこ
この街はどう変わっていったでしょうか。


今回のドジ
嫁の誕生日にケーキを買ったのに、あげるタイミングを
逃しました。仕方ないので家内と嫌々食べました。
美味しかったです。
ケーキDSC_0337.JPG


8月11日から夏休みです。祭りの準備もあるので、次回は
20日過ぎになる予定です。

2016年8月24日

秋葉原 Ⅱ 万世橋

お盆休みも終わってブログ再開です。
ほんとは休み中に行われた一万燈祭のことを載せる予定
でしたがまだまだ未完成なので前回の秋葉原の続きです。


秋葉原のすぐそばに神田川が流れ、そこにかかる橋が
万世橋。むかしは万世橋駅というのがあって、万世橋警察、
「肉の万世」などがありますが、万世橋という地名はありま
せん。
万世橋②197.JPG


万世橋駅が出来たのは、まだ秋葉原駅や神田駅、東京駅
さえなかった明治末期。最初は立川方面に行く私鉄の始発
駅だったそうです(秋葉原に船着き場があったから?)。

当時はこんなだったようです。
土手045.JPG


駅前に貝の看板があるからやっぱり海が・・・
駅看板043.JPG


初代の駅舎は東京駅と同じ設計者。駅前広場があって通
りには市電(まだ東京市)が走り賑わっていたとか。当時
の写真を見ると凄い繁華街のようですが、今は車の通りも
少なく、こんな所に駅があったのかと思うような場所です。
繁華街015.JPG

その後1936年には東京駅から鉄道博物館が移され、万世
橋駅は1943年に廃止されて交通博物館になったそうです。
その駅の面影は中央線から見えるホーム跡のみ。そしてそ
の交通博物館も2006年に大宮に移転し、跡地には高層ビル
が建ちました。
カフェ036 (2).JPGのサムネイル画像

高架下と駅舎の一部は、「マチエキュート」というアーケード
になり、地上のホーム後はオシャレなカフェになりました。
マチ200.JPG


電車が見えるホーム上のカフェ
カフェ036 (1).JPG

その入口が渋いです
入口035.JPG

万世橋のシンボルのようなのが「肉の万世」。ここは本店で、
10階建てビルの全フロアが直営の飲食店というのが凄い。
お店で食べたことはあまりないですが、万かつサンドはよく
買って食べます。最近はスーパーや高速のサービスエリア
でも売っていますね。
本店199.JPG


カツサンドは、昭和10年に湯島にあった井泉というとんかつ
店が初めて作ったそうで、花柳界の芸者さん御用達だった
とか。井泉・まい泉のカツサンドに対し、万かつサンドはパン
を焼いてあるのが特長。ちなみに、関西でカツサンドといえ
ば牛かつだそうです。

万かつサンドは店内でも食べられます。出来立てで美味しい。
カツサンド001.JPG


久しぶりにお店に入ったら、こんな魅力的な景品が。
あっ、売り物か・・・
戦車004.JPG


子供が中学生の頃、学友たちが栃木の実家に遊びに来た
ときのことです。
行きがけに宇都宮インターそばの万世で焼きそばを買い、
鉄板で焼いて食べさせようと箱から出すと、ひとりの子供が
「これ、うちで作っている焼きそばだ!」と。ああ、製麺屋
さんの息子さんか・・・と思ったら、牧場がどうのこうのと。
よく聞いたら万世の息子さんでビックリしました。


万世橋には思い出があります。それは、私が小さいころ通
い詰め、子供たちもよく連れて行った交通博物館がここに
あったからです。

当時の交通博物館。
Kotsu_hakubutsukan[1].jpg

その話は別の機会にして、最後に万世橋警察署のお巡りさん
にお世話になったエピソードを。いや、事件ではありません。


いまから7~8年ほど前、まだ駐車違反がそれほど厳しくな
く、10分ぐらいは駐車してても大丈夫だった時代。
当時秋葉原には駐車場が少なく、いつも大通りに停めて
プラモ店に行ってました。しかし、その日は他の車がずらっ
と停まっていて、しかたなくその先でUターン。反対側には
万世橋警察があるので、ちょっとその先に停めました。

ホテルのような万世橋警察署


すると、立ち番のお巡りさんが飛んできて「ダメだよ。そん
な所に停めちゃ。」と言われました。ダメもとで「すみません、
5分で帰ってくるのでお願い!」と言うと、「じゃあ、そこは
左折ラインだからもっと下がって停めなさい」と意外な返事。


私がお礼を言ってバックしようとすると、そこに別の車が来
て停めてしまいました。するとさっきのお巡りさんが飛んでっ
てその車を追い払い、おいでおいでと手招き。
おかげで、お巡りさんのお墨付きで買い物が出来ました。
思い出すと私もずうずうしかったですが、粋なお巡りさんに
感謝です。


今回のドジ
秋葉原の模型店に注文したパーツを取りに行きました。
汗をかきながら2軒回り、今回の万世橋の追加写真を撮って
帰りにコンビニでお昼を買いました。会社に帰ってふと気づ
くと、買ったパーツの入ったビニール袋がない!
たぶんお昼を買ったコンビニでポイントカードを出すのに手
間取ったから、そのとき忘れたに違いません。


けっこう遠いし暑いけど取りに行かなくては。汗だくで店に
行くと、なんと忘れ物は無いとのこと。けっこう確信があっ
たのに・・・。写真を撮ってて落とした?通った所を探して
もないし、まさか買い物をした店に?これぞブログネタと思
いながら店に行っても無いとのこと。
さて、どこでどう無くしたのか、情けなくなりました。

2016年8月 4日

江戸学特別対談

2ヶ月ほど前、小学舘出版局から文京学院大学生涯学
習センターの講座で対談をして欲しいと頼まれました。


小学館では、江戸時代の全ジャンルを出題対象とする
「江戸文化歴史検定」というのを実施していて、一級の
合格率は司法試験以上の難しさだそうです。
その一級合格者を講師として文京学院大学では江戸学
講座を行っており、今回は「江戸時代の薬・医療事情」
の講座での対談を頼まれたのです。


講師は江戸検一級最年少合格者でタレントの堀口茉純
さんです。自分の講座を持っているというから凄い。
もう堀口先生です。
とくに台本はないそうなので、アドリブに弱い私はどう
なることやら・・・
ホーリーDSC_0329.JPG


本番は7月の土曜日。
学校は東大の近くだそうで、地下鉄南北線の東大前改
札口で学校のスタッフの方と待ち合わせ。東大前とい
う駅名なのに、出口は文京学院大学の目の前でした。
大学007 (2).JPG

地下に直結した職員通用口があってビックリです。
通用口008.JPG

恥ずかしながらこの大学は知らなかったのですがキャン
バスが広く、大きくて立派な建物でした。


応接室で堀口先生と顔合わせ。暑いのに着物を着てて
かわいらしい方でした。
坂口003 (1).JPG

教室で講座が始まり外で待機。紹介されて登場です。
先生は当時の医療事情をよく調べていて、映像を交えて
講演。軽妙な話し方が聴講者をひきつけます。
あばれんぼう将軍こと、八代将軍・徳川吉宗が、当時の
医療事情改善のため、生薬の栽培を推奨したという話が
興味深かったです。


講座の間にいろいろ質問を受けましたが、聞き方とフォロー
がうまいのでリラックスして受け答えが出来ました。中に
は答えに詰まるようなことを突然聞く人もいるのです。
うちに伝わる興味が湧くような話も披露して、1時間半の
講座は終わりました。


前回に続き今回のドジは・・・
ベットで寝るとき、いつも端の方で寝るのが癖です。
先日、暴漢と闘ってる夢を見て、とび蹴りをした瞬間
(したことはないです)にベットから落ちました。
高さが50センチぐらいあるので、しばらく動けないほ
ど痛いのなんの。もう数回落ちてるので、介護用の柵
を買おうかと検討中です。

2016年8月29日

お盆と一万燈祭 上

8月20日に2年ぶりに栃木の工場で一万燈祭を行いました。


一万燈祭は、江戸時代から続いた宇津薬師堂のお祭りで、
名前の由来は、仏様が一万の灯りを灯して人々を幸せに
導くという仏教用語からきているそう。
50年近く休催してましたが2012年に再開。本来の一万燈
は8月9日の薬師の日に行うもので、お祭りをやらないとき
でも毎年住職に薬師堂で読経して頂いてました。

宇津薬師堂
history_93.jpgのサムネイル画像

今回お祭りを再開して3回目。回を重ねるごとに知名度も
浸透し、協力して頂ける地元の人も増えてきました。
20日にしたのは、住職に承諾を得て他の地元のイベントと
重ならない土曜日にしたからです。


祭の準備はその関係先への依頼や打ち合わせが大変で
すが、今回は長男が主体でやってくれました。でも、気に
なってついつい口を出してしまいます。


もうひとつ大変なのは会場になる庭の手入れ。いつもやっ
てることですが、雑草の伸びが早いため祭直前の手入れ
が必要です。幸い開催日が会社の夏休み後だったので、
なんとか掃除することができました。

素人の手入れにしてはかなりの完成度?
庭掃除009.JPG

祭の成功の可否は事前の告知にかかってます。毎回町の
後援をもらってますが、今回は町でポスター・チラシの印刷
をしてもらい、公立小学校でポスターとチラシを配ってくれ
ることになりました。私も図書館や郵便局、スーパー、コン
ビニ、JAを廻ってポスターの掲示をお願いしました。
宇津救命丸一万燈祭チラシ.pdf

お祭りの出し物は頭を悩ますところですが、うちの会社の
イメージからこどもの祭りに特化することにしました。
そこで今回の出し物は、地元のお囃子、こどものヒップ
ホップダンス、小学生の金管バンド、保育園児のマーチン
グバンド、保育園児・小学生のお神輿、町の有志の湧泉太
鼓に決まりました。


会場内には、町の飲食店4軒と宇都宮のギョーザ屋さん、
げんきあっぷむら、和菓子店、商工会、JAが出店。地元
の公民館の人たちがアユを焼いてくれることになりました。


今回は同業家庭薬メーカー8社にお願いし、いろいろな宣
伝物を提供して頂いて、800人分のおみやげを用意すること
になりました。
おみやげ003.JPG


そんな中の13日は迎え盆。前日にご先祖の掛け軸を掛け
たり仏壇の前の飾りつけをしたりと大変です。

飾り台のすぐれもの。叔父の葬儀の時に葬儀屋さんが置い
ていった組み立て式です。
台2035 (2).JPG


きれをかければ立派な台に変身です。
台5035 (1).JPG


今年は去年結婚した長男夫婦が初めて一緒に墓参りしまし
た。お線香に火をつける係りの私は大忙し。なにしろお墓が
沢山あるので一人一束はいるのです。
14日は例年通り住職がみえ、お経をあげて頂きました。


お祭り当日の天気は一週間前はくもりで、その前後も晴れ
かくもり。前回は台風が2つも接近して雨が降ったり止ん
だりでしたが、今年はその心配はなさそうです。ところが、
2日前ごろから急に傘マークが。信じられない!
長男は自他ともに認める雨男ですが、昨年結婚して晴れ男
になったと言ってました。それを信じるしかありません。


一万燈では御灯明を供えるのがいつものしきたり。
例年その張り替えは工場の人にやってもらうのですが、今
回は私がやってみました。張ってある紙を剥がすのですが、
水で濡らして破くと簡単。糊も一緒に剥がれます。一日乾
かしていよいよ紙張り。

長いのが2本
張り063 (2).JPG


小さいのが4つ
木枠061 (1).JPG


紙を張るなんて簡単と思ったら、これがなんとも難しい。
市販のノリを水で薄めて木枠に塗り、紙を張るのですが接
着力が弱いのでちょっと引っ張るとずれてしまって・・・
おまけに紙が濡れてるので触るとすぐに破けてしまい、1人
で腹を立てながら悪戦苦闘。なんとか長いのを2本、小さ
いのを4つ張りました。

張ったばかりは紙がよれよれ。
張り縦063 (1).JPG

そのあと霧吹きで水をかけて天日で干したらピンと張り、
なんとか形になりました。なんとも不満足な出来で、障子
を張る経師屋さんて凄い!
あとは工場の人に墨で字を書いてもらって完成です。
ぼんぼり064 (2).JPG


前回案内板がなかったので、今回は各種の案内板も作り
ました。

道路にぼんぼりも出して準備万端。
ぼんぼり064 (1).JPG

前日はいい天気でものすごい暑さでした。
さて、明日も天気になることを祈るばかりです。   つづく。