宇津救命丸公式サイト|夜泣き、かんむしには宇津救命丸

Home » ブログ » 薬剤師  青春の思いで編 

ブログ

blog

薬剤師  青春の思いで編 

以前、薬剤師のことを書きましたが、50年前の薬大生時代
のことを思い出しました。

私の祖父も父も東京薬科大学の出で、二人に「薬大を目指
せ」と言われていたので、とくに疑問もなく同じ大学を受
けました。他に星薬と北里を受けたと思います。

受験番号は今も忘れない606番。なぜ覚えてるかと言うと、
その番号を見た父が「これはいい!」と言ったからです。
なぜかと聞くと、医薬品の特効薬と同じ番号だからとだけ
言いました。その時はそれがなんだか知りませんでしたが、
あとでそれがサルバルサンという梅毒の特効薬(当時)の番
号だったことを知りました。

そのせいかどうかはわかりませんが、第一志望の東京薬科
大学に合格しました。でも、同大学は共学ではなく、男子
部は大久保、女子部は上野と遠く離れていました。
幼稚園以来、高校まで男子校だった私は、描いていた夢の
キャンパスライフが絶望に変わりました。

あとで聞いた話ですが、共学にすると女子の方が合格率が
高く、女子の割合が増えてしまうからとのこと。どこかの
医学部で聞いたような話ですが、そこも最初から男女に
分けていれば点数をごまかす必要もなかった?

1年生の時は一般教養の授業もありましたが、あとはほと
んど薬にまつわるお勉強ばかり。最初は真面目に授業に出
てましたが、つまらない授業(ほとんどですが)はだんだん
サボることも覚えてきます。
代返を頼める授業もありましたが、カードを配って回収す
るという厳しい教授もいました。

そのカードをどこからか手に入れ、仲間に配るという輩が
出現。それに教授は毎回カードの色を変えて対抗し、今度
はそいつが全色のカードを揃えるといういたちごっこ。
最終的にはカードの横に線を入れられ、さすがに彼もギブ
アップでした。

でも私の母は厳しく、毎日家を追い出され、パチンコも嫌
いで時間を潰す場所がなかったので、仕方なく?授業に
出てました。だから出席率は比較的よく、それだけで単位
をくれた教授も。あと、車をぶつけられたドイツ語の教授
もくれました(修理代を固辞したおかげ?)。

薬学ではドイツ語が必須です。なぜかと言うと、医師が患
者に病名がわからないように処方箋をドイツ語で書くから。
だったら、必要最小限の病名、薬剤名でいいと思うのです
が、なんで日常会話を? 語学はまるで苦手で、ひたすら
丸暗記でした。

なんせ小学校から高校までフランス語が必須の学校だった
のに、覚えているのはフランス国歌と聖歌ぐらい。あと、
1から13迄は数えられますが。

暗黒のキャンパスライフから逃れるため、唯一女子部と接
点のある部活に入りました。その部でいまの妻と出会い、
入部は正解だった?
妻は、母親がこれから女性が一人でも生きて行くには薬剤
師がいいと薬大に入れたのだそうです。それも別の意味で
正解だったのか?

その新入生歓迎会で、先輩に飲めないビールを飲まされ、
ひどい目に会いました。私の隣で同じく同級生がダウンし
てましたが、彼はいまでは酒大好き人間。やっぱり訓練と
アルコール分解酵素の量が問題かも。

しばらくすると、親しい友達も出来てきました。父親同士
が同級生だったというのが3人もいて、それ以来4人はい
までも付き合っています。

必須の授業が休講になるのが何よりの喜びで、うちが近い
ので暇な時は友人たちが遊びに来て、母がよく食事を作っ
てくれました。

地方から受験した友達が多く、当時は風呂無し、トイレ無
しの下宿屋かアパートが普通。流しで身体を洗ってたとい
う友人もいました。いまはワンルームマンションじゃなけ
れば嫌だとか、親の脛も細くなる一方でしょう。

つづく