夜泣き|かんむしに宇津救命丸400年以上の歴史を持つ医薬品メーカー

Home » ブログ » 第17代当主

ブログ

blog

第17代当主

今年最後のブログは、宇津家の第17代当主、つまり
父のことです。


父は大変厳しく頑固でした。
あまり家庭的ではなく、旅行やどこかに連れて行って
もらった記憶がほとんどありません。それでも、小学
生の時、会社と学校が近かったせいか、授業が終わ
ったあとに時々映画に連れて行ってもらい、それが楽
しみでした。
私が中学生のころから「おまえは薬剤師になるんだ」
と言われ、勉強嫌いの私を捕まえて無理やり勉強を
教えていました。ちなみに父も薬剤師で、余談ですが
祖父も私の家内も、弟と弟の嫁も薬剤師です。
お酒はあまり強くはないのですが、酒の席は好きで、
毎晩のように飲んで帰ってきました。普段は無口でし
たが酔っ払うと陽気になり、よく夜中に1人で騒いで
いました。
そんな父の帰りを、母は居眠りをしながらも起きて待
っていました。ちゃんと化粧をして。
長唄と小唄をたしなみ、趣味は歌舞伎と野球観戦。
よく歌舞伎のセリフをトイレやお風呂でうなっており、
具合が悪いのかと心配したこともありました。
野球は「国鉄」時代からのヤクルトファンで、試合が
あるときは、人と食事をしていてもイヤフォンでラジオ
中継を聞いていました。
当時大変高価なビデオデッキを買ったのもヤクルトの
試合を録るためで、負けた時はいつも、勝った時のビ
デオを見て溜飲を下げていました
私が会社に入って、初めて社長としての父の顔を見
ました。
家ではあまりしゃべらず、いつも苦虫を噛み潰したよ
うな顔をしていましたが、社内会議や取引先の前で
は雄弁で、よく冗談を言っていました。
社員を怒ったことはほとんどなく、いつも怒られ役は
私と、当時副社長だった叔父(父の弟)でした。
ワンマンで人の意見を聞かずすぐ怒鳴るので、なか
なか話しができません。特にヤクルトが負けた翌日
は最悪。話しがあるときは、ヤクルト勝って機嫌のい
いときにするというのが鉄則でした。
でも、怒鳴ったあとは後悔するのか、いつもあとで
内線をかけてきてフォローしていました。
当社がこどものかぜ薬を発売した時のこと。生まれ
て初めて父と大喧嘩をしました。
私は、救命丸が400年近く売れ続けてきたとはい
え、これからは時代の波に乗った新しい薬も発売
していかなくてはならないと考えていました。
そこで父を説得し、新しい技術を持つメーカーにイチ
ゴ味のかぜ薬を開発してもらったのですが、雑誌に
広告を載せても思うように売れません。
私は父に、テレビでかぜ薬のCMを流すべきだと主
張したのですが、もともと乗り気でなかった父は、
「救命丸の予算だけでそんな余裕はない」と聞き入
れませんでした。
それでも私が強く主張したので、めずらしく譲らない
私に父は激怒。「おまえは製造元から金をもらって
いるのか!救命丸がどうなってもいいのか!」と、
机をたたいて怒鳴りました。
思わぬ父の言葉に、怒りよりも悲しみがこみ上げて
きました。溢れる涙で猛烈に抗議したことを今でも
忘れません。
その時たまたま隣の部屋にいた人が、後日、あの
二人の怒鳴り声はすごかったと言っていました。
その後父も言いすぎたと思ったのでしょうか、数日
たって内線があり、「おまえの思うようにやってみろ」
と言われました。
いそいでかぜ薬のCMを作り流したのですが、途
端に注文が殺到し、あっという間に品切れとなって
しまいました。
このイチゴ味のかぜ薬が評判となり、当社がこども
の総合医薬品メーカーになるきっかけとなりました。
それからしばらくして、突然父から「おまえに社長を
譲る」と言われました。ビックリしたのは私です。
常務からいきなり社長ですから。36歳の時でした。
でも、会長になっても父は毎日会社に来て口を出し、
結局は社長が二人になったようなものでした。
お酒の席はもっぱらお座敷で、酔っ払うと冗談を言っ
て騒いでいました。
お酒が入ると気が大きくなるので、いつも宴会の前
に私が「二次会は無しですよ。」と釘を刺しました。
すると「当たり前だ!」と言うのですが、酔っ払うとみ
んなを引き連れてお座敷に行ってしまうので困って
いました。
宇津家では、16代の祖父まで代々「権右衛門」と
名乗ってきましたが、父は襲名を嫌がっていました。
晩年になって、「70歳になったら継ごうかな」と言っ
ていましたが、70歳の誕生日前にガンで亡くなりま
した。
私は父に病名を隠し、最後の親孝行をしました。
親しかったメーカーの社長さんからは、「宇津君は最
後の粋人だったよ」と言われました。
父は良くも悪くもいい時代を過ごし、救命丸と苦労を
共にし、愛していました。あの時机を叩いて怒鳴った
のも、それゆえだったからでしょう。
最後の出棺の時、棺の中に父の愛した救命丸をそっ
と入れてあげました。
今年最後のブログはしんみりとなってしまいました。
1年間にわたり読んでいただきましてありがとうござ
いました。
来年がみなさまにとってよい年でありますようにお祈
りいたします。