夜泣き|かんむしに宇津救命丸400年以上の歴史を持つ医薬品メーカー

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歴史探訪 江戸時代の営業活動

現代の商談では大阪日帰りは当たり前。北海道や九州でさえ、日帰
りが可能な時代です。


江戸時代や明治時代には、移動は当然徒歩か舟。かなりの時間、
いや、日にちがかかりました。以前に記した「宇津家史料館報」に、
当時どのようにして救命丸を広めてきたかの記録が載っていますの
でご紹介します。
それによると、当時から東は奥州(福島・宮城・岩手・青森)から西
は備前(岡山県)まで取引先があり、何十日、時には一月以上か
けて巡回したとあります。
当時の販売方法は、各地の取次所に商品を置いてもらい、売れた
分だけ料金をもらうシステム。同じころ始まった配置販売と違い、い
まの小売店販売に近いものでした。うちに現存する「家伝御薬諸国
取次所名前帳」には、1807年(文化4年)当時の各地の取次所の
名前が載っています。
それによると全国に374件あって、地元の下野104に始まり、奥州
68・出羽9・常陸58・下総20・上野30・江戸12・武蔵16・相模5・
伊豆1・越後1・甲斐4・信濃10・駿河4・遠江1・尾張・伊勢8・近江
1・紀伊1・京都7・大阪8・播磨1・備前1でした。
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取次所の本業は、旅籠・煙草問屋・飛脚問屋・紙問屋・古着問屋・
薬種商など多岐にわたり、珍しいところでは神社というのもありまし
た。これらの取次所の中には、100年以上も続いた所もあります。
明治に入って北海道の開拓が進むと、さっそく北海道に渡り、函館・
室蘭・夕張・由仁・岩見沢・旭川・札幌と周っています。
救命丸発祥の地である高根沢町は、江戸から100キロ以上離れた
内陸にありますが、鬼怒川、那珂川、利根川などを交通手段として
うまく利用していたようで、河岸に多くの取次所があるのがそれを物
語っています。また、高根沢は原料を仕入れるには地の利が悪いた
め、取次所に原料を買ってもらうなど、深い信頼関係もありました。
当時の営業マン(?)の仕事ぶりは巡回帳を見ればわかります。
得意先を廻りながら新規開拓も行い、納品や集金、広告の申し込み
から金看板の取り付けまで、幅広い仕事をしていました。また、途中
で消耗して買ったワラジ代も書き込まれています(当時の交通費?)。
また、入金の金額も細かく書いてあり、一件の集金は1両から5両が
多く、中には150両などという大きな入金もありました(当時の物価
換算で、1両はだいたい20~30万ぐらい)。
写真は弘化3年の金銭出入帳
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古文書の中には、当時の人たちがみな俳句をたしなんでいたことも
わかっています。芭蕉が歩いた同じルートをたどり、最上川を舟で下
っていますが、そこで俳句を読んだかどうかは定かではありません。
そういえば、昭和40年ごろまで薬師堂の隣りに絵馬堂があり、そこ
で読んだ俳句が中に飾ってありました(現在は史料館内に保存)。
当時は大変な苦労をしながらも、教養を深めていたようです。
その先人たちの苦労のおかげで宇津救命丸の知名度が上がり、い
まの当社があるのがあらためてわかります。
ところで、このたび薬事日報社より、「家庭薬 ロングセラーの秘密」
という本が発刊されました。当社を始め、34社の家庭薬の歴史が
書かれています。定価1905円。
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