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ブログ再開しました。 そのとき私は・・・

大震災から1ヵ月。3月11日は我々日本人にとって忘れられない日に
なりました。
その日、被災された方々はもちろんですが、遠く離れた東京でも、多く
の人にさまざまな苦労がありました。


私と息子は千葉の幕張メッセで行われているドラッグストアショー会場
にいました。
多くのメーカーが参加する大規模なショーで、金曜日は業界の内覧会
でした。会場内はパンフレットを配るコンパニオンと、多くの業界関係者
でにぎわってました。
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家庭薬コーナーでは、当社のなつかしのコマーシャルも流れてました。
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そのとき、私はあるメーカーの社長と立ち話をしていました。
突然の揺れに会場は騒然。でも、東京で地震は珍しくないので、すぐ
に収まると思ってました。ところが今回は違います。揺れはだんだん
激しくなり、立っていられないほど。それに、なにより時間が長い。
周りのディスプレイが倒れだし、みんな床に座りこみました。高い天井
から吊られた大きな照明が激しく揺れてます。あれが落ちたらただの
怪我では済みません。 これは関東大震災??
このまま倒壊する !?と思われたころ、やっと揺れが収まりました。
みんな狼狽し、泣いてる女性もいます。避難するようにいわれて外に
出ましたが、断続的に揺れが続き、そのたびに悲鳴が聞こえました。
揺れが収まったとき、脳裏に浮かんだのは、地震の震源地。東京は? 
家族は?会社は?
とりあえず外に避難。しかし、大きなガラス窓だらけの建物だけに、外
に避難したのが正解だったのかどうか・・・
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目の前の地面にヒビ!その後砂混じりの水が溢れ出して・・・
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すぐに携帯電話で連絡してもどこにもつながらず、メールを送っても返
事がありません。情報がまったく無いので、不安はつのるばかり。
広場に出ると地面はひび割れ、砂混じりの水が噴出しています。これ
は液状化現象?新潟地震で砂に埋まったマンションを思い出します。
少しずつ情報が入るようになり、震源地や家族の安否、会社の状況も
わかってきました。ひとまず安心。わが家ではコップ一つ割れなかった
ようで、家内はケロッとしてました。
さて、車で来たわれわれは、40キロ離れた東京に帰れるのか?
たぶん、高速道路は不通でしょう。一緒にいた社員は電車で帰ると言
ってます。とりあえず息子と、一緒にいた友人の社長と3人で東京に
向かうことに。
心配なのは駐車場に停めた車。はたして無事なのか・・・
駐車場に着くと、あちこちの地面から水と砂が溢れていました。車に近
づくために、仕方なく革靴で水の中に。ズボンも濡れた砂にまみれて、
まるで波打ち際を歩いているようです。
タイヤが穴にはまって立ち往生している車、砂に半分埋まっている車も
いました。もうブログ用の写真なんて撮っている余裕もありません。
冷静に撮り続けられるプロのカメラマンはすごいと思いました。
幸い我々の車は無事でした。まさか駐車代は取らないだろう・・・と思っ
たら、しっかり1000円取られました。
駐車場を出ると、道路に電柱が倒れ、電線が垂れ下がり、遠くに黒煙
が立ち上ってます。まるでパニック映画のように。
ニュースで、少しづつ状況がわかってきました。やはり首都高速は全
面通行止め。JR・私鉄とも終日運休の様子。さっき別れた社員はどう
やって帰るのだろう・・・
国道に入る交差点でもう渋滞。目の前を左折するのに30分。国道に
入った後もまったく動かず、徒歩の人たちに抜かれていきます。
1時間経って動いたのは数十メートル。このままだと、何時に家に着く
かわかりません。予測不能の事態に備え、水と食糧、ガソリンを確保
することに。スタンドがありましたが、停電しているので給油はダメとの
こと。幸い、ガソリンは半分以上残っており、300キロは走れます。
トイレを借り、パンと飲み物を買い込みました。
夕方、工場から携帯に電話。
「いま、しゅっかしました」。
「出火?どこから?」。ビックリして聞くと
「いえ、商品の出荷が終わりました」とのこと。
私の勘違いでしたが、ほんとに驚きました。
その後、2キロ動くのに4時間かかり、日が暮れてきました。街道沿い
の店はみな停電で真っ暗。コンビニも閉まっています。たぶん、トイレを
借りようとしていた女性が、店の前で途方にくれてました。
8時ごろ浦安まで来ると、やっと開いているコンビニがありました。暖か
いものを食べホッとしましたが、断水でトイレは使えません。
自宅まであと24キロ・・・
舞浜を過ぎたあたりから少しずつ流れるようになり、いっきに月島あた
りまで来れました。でも、ここからが大変。渋滞で真っ赤になっている
都心を横断しなくてはなりません。またノロノロ運転となりました。
自宅まであと11キロ・・・
問題は、赤信号になっても交差点内を車が塞いでおり、横断できない
こと。交差点を横切るたびに30分から1時間かかります。時間は刻々
と過ぎ、結局、自宅に着いたのは1時半。幕張から40キロを10時間
かかりました。近所の人は六本木から7キロを7時間かかったそうです。
この日、我々のように車で何時間もかかった人、家まで歩いて帰った
人、仮設所で夜を明かした人、みんな大変な一夜でした。でも、被災
地の方々の苦難に比べれば、ほんのささいなできごとです。