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懐かしきクリスマス

クリスマス連休は、やっぱり栃木で過ごしました。今年はメチャクチャ寒くて、
朝は毎日零下でした。


今年は特別寒いようで、午前中は外の水道も手水鉢も凍っています。古い
家なので、エアコンなんて役にたたず、石油温風ヒーターが大活躍。
けっこう石油は消費しますが、200Lの大きな石油タンクがあるので、タンク
ローリーで給油に来てくれて助かります。
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竹の垣根にも氷が
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手水鉢もご覧のとおり
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クリスマスといえば、子どもが大きくなってから、もう何年もやっていません。
私が小さいころはまだ戦後まもなくだったので、自宅でクリスマスをやる習
慣などなかった気がします。
ウチはバリバリの仏教なのに、なぜか学校はキリスト教系(父も息子も)。
なので、小学生のころは、クリスマス礼拝やクリスマス会がありました。
クリスマス会ではプレゼント交換があり、1人50円のプレゼントを買っていく
のですが、男子校なので中身は殺伐としたものばかり。自分で欲しいプラ
モを買って、自分に当たらないかなと思ったりしました。
たまに、宇都宮の叔母(母の妹)の家に親戚が集まって、クリスマス会をや
りました。政治家一家だったので、50年前にしては、すべてにおいて洒落て
ました。外国にもよく行っていたようで、当時珍しかったアメリカのアイス
クリームやプラモデルをもらうのが楽しみでした。ただし、お茶目な叔母に、
当時NHKでやっていたジェスチャーをやらされるのがたまらなく嫌でした。
家内には、切ないクリスマスの思い出があるそうです。
10歳くらいの時、友達と遠く離れた教会へ、クリスマス会で配られる銀色
の靴をもらいに行ったそうです。今考えれば、ダンボールに銀紙の貼っただ
けの靴ですが、中にはキャンディやチョコレートが入っていて、子供には魅
力的だったのでしょう。
クリスマス会ではイエス様の生涯の紙芝居を観て、歌えもしない讃美歌を
延々と歌い、気がつけば窓のそとはうす暗くなってきたそうです。夕方には
家に帰るという約束を思い出したが、今帰ると長靴がもらえない。しばらく
がまんして聞いていたけど、ついに帰ることを決意。もう少しでプレゼントが
もらえると言われたのを断り、真っ暗な道を走って戻ったそうです
家の前に着くと、黒塗りのタクシーが止まっていて、家族全員と近所の人が
騒いでいたそうです。暗くなっても帰ってこない娘を心配し、探しにいくところ。
すごく叱られると覚悟したけど、「良かった、心配した」と言われてホットした
とか。まるで「三丁目の夕日」ですが、親になって初めてわかる親の気持で
すね。いま家内が、通販で(安い)靴をいっぱい買うのは、このトラウマか・・・
話は変わりますが、結婚して子どもが生まれてからのクリスマスは賑やか
でした。子供たちが寝ている間に、枕元にプレゼントを置いておいたら、翌
朝起きて大騒ぎ。三人で二階の窓から「サンタさん ありがとー!」と叫ん
でいるのが、実に微笑ましかったです。それがいまじゃにく・・・・ま、いいか。
デパートの店員が、サンタの格好でプレゼントを持ってきてくれるという企画
があり、その時はみんなビックリして大喜び。しかし、目ざとい次男が「なん
でサンタのプレゼントがデパートの包装紙に包まれているのか」と不思議
がってました。
当時は、三世代四家族で9人が同居。そこに姉弟夫婦が二人づつ子供を
連れて来るようになり、さらにまだ小さかった私の従弟が来たりして、もう
大変な騒ぎ。みんなのプレゼントに頭をひねり、プレゼントをあけるときは
もう阿鼻叫喚。次男を溺愛していた祖母は、「もらったプレゼントはトモ(次
男の愛称)に見せてね!」とひ孫たちに絶叫してました。
現実に戻り、24日のイブに東京に帰り、夕飯は刺身。なんでや!
翌日は早朝から名古屋に行くため、まだ暗いうちに品川駅に到着。前に
歩く朝帰りふうの女性のコートから、銀の縁取りの赤いサンタの赤い服が。
「なんだかなー」って感じです。こうして、我が家のクリスマスは過ぎました。
街のクリスマス風景
宝積寺駅前広場のイルミネーション
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立教大学前
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これは遊園地・・・じゃなくて、高根沢の老人ホーム。クリスマスに関係なく、
一年中これでした。
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今年はこれで書き納めです。一年間ありがとうございました。