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そういえば、省線ってご存知ですか?

ついでに当時の列車の話です。
当時の国鉄の電車は省線と呼ばれてました(鉄道省の名残?)。
無骨な鋲打ちの茶色い車体で床は木製のコールタール塗り。
たまに床を塗り替えたばかりの車両に乗ったときは臭いの
なんの。鶴見線で鉄道事故があったとき、火災で大勢死んだ
のもこの木製の床のせいかもです。
yjimage.jpgのサムネイル画像
やっぱり地獄!
小学校に電車で通学していたこともあったので、やっぱり朝
のラッシュは大変でした。いまみたいに車体は大きくないし、
せいぜい8両編成。ホームに大勢駅員さんがいて、満員の車
内にお客さんを押し込むのです。私はいつも運転席の後ろの
窓にへばりついてましたが(当時は窓があって前が見えた)、
分厚いランドセルが多少の緩衝剤になりました。
痛い思いで
ドアと戸袋の間に指を挟まれたときのことは、いまでも忘れ
ません。ドアが開くとき指も一緒に戸袋に入ってしまったの
です。当時のゴムは品質が悪く、固くて指が抜けずに、次の
駅までそのまま。痛くて泣いて帰ったのを覚えています。
トラウマ
もっと小さい時、列車に乗ると嬉しくて、いつも空いた窓から
顔を出していました。あるとき、急にまぶしくなり目が開けら
れなくなって・・・。母に連れられ目医者さん(むかしはよく
目医者と言いました)で診てもらうと、眼に小さな鉄の破片が
刺さってました。それを取るとき、もちろん目は空いたまま。
目医者さんが持つ針が迫ってくる恐怖は・・・映画の拷問
シーンを見るたびに思い出します。
ブラックホール
私が乗り降りした飯田橋の駅はカーブの所にあります。電車
とホームが場所によって20センチ近くも空いており、たまに
小学生が落ちました。でもランドセルがひっかかって、下まで
落ちることはなかったです。いまでもこの隙間は空いてます。
傷病兵
小学生だったのはまだ戦後15年目ごろ。昼間電車に乗ると、
戦争で怪我をした元軍人さんたちが白い着物を着て、軍帽を
かぶり、アコーデオンやハーモニカを演奏してお金をもらって
いるのをよく見かけました。
まだまだ戦争の傷が残っていた暗い時代です。
ドヤ街だった新宿駅西口
いまは小田急デパートや都庁があって華やかですが、50年
前の駅前はドヤ街でした。駅からバス停まで100Mぐらいあ
り、その中を通っていくので怖かったことを覚えてます。
車内販売
東北線に乗ると、もぐりのアイスクリーム売りがいました。
赤羽あたりから乗ってきて車掌さんの目を盗んで売るのです。
でも、それを買ってもらうのも楽しみでした。
当時、売店で売っているミカンは冷凍、お茶は小さな土瓶に
入って売ってました。駅に停まるとみんな窓から駅弁買って・・・
いい時代でした。
魔法の切符販売機
当時の切符の販売機は、お金を入れてレバーを押すと切符
に印字されて出てくるという超アナログ。あるときその販売
機の一つが壊れてて、お金を入れなくても切符が出るという
話が学校中で評判に。小学生がみんなその販売機に並んで
切符を買ったという、もう時効のお話です。