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命がけの使命

先日朝霞の自衛隊見学に行ったとき、最後に講演頂い
た隊長さんの地下鉄サリン事件とPKO派遣の話が大変
興味深かったので改めて掲載します。
以下、隊長の話として一人称で。
サリン事件の起きた平成7年当時、隊長さんはまだ下の
小隊長で、市ヶ谷の自衛隊にいました。
その日は飛び石連休で、偉い人はみんな出かけ、隊長
さんが留守番。すると突然自衛隊の幕僚から電話があり、
すぐに出動の準備をせよと言わました。
自衛隊の命令系統は上から順々に降りてくるのが常識
で、突然頂上の人から直接命令されるなんてあり得ない。
イタズラ電話と思って確認しよとしたら、殺気立って
「早くしろ!」と怒鳴られました。その時テレビで地下鉄
に毒ガスが撒かれたらしいと報じ始め、「これか!」と
ピントきました。
阪神淡路大震災の時、自衛隊は知事から災害派遣の要
請がなく、出動が遅れ自衛隊に批判が集中しました。
その国民の信頼を取り戻すべく、速やかな対応をとろう
と一番近い市ヶ谷に指令が飛んだのでしょう。
しかし、休日とあって大半の隊員が外出。いまみたいに
一斉メールもないので、手分けして召集の電話をかけま
くりました。
さらに、市ヶ谷に駐屯する部隊は普通科なので、毒ガス
の知識なんて皆無。急きょ大宮の化学防御隊から人が
来て、移動するトラックの中で対応を教えてもらいました。
サリンは皮膚や髪の毛からも浸透するので、防護服の着
用は必須。
もちろん専門の化学防御部隊も出動したそうですが、近
い市ヶ谷の部隊が一番に着いちゃった。トラックを降り
て化学防御隊を待とうと思ったら「自衛隊の化学隊が来
た!」と周りは騒然。防護服を着てるので、外見だけは
化学防御隊に見えたのでしょう。
警察も消防も道をあけ、マスコミのカメラが一斉に向けら
れ・・・いまさら違うとも言えず、覚悟を決めてホームに降
りて行きました。ニュースでその映像が流れ、自衛隊の
化学防御部隊が出動して対処したと報じられました。
ガスの残留を調べる試験紙があり、サリンは赤、マスタード
ガスは黄色と教えられてました。しかし試験紙に出たのは
なんとオレンジ色。何だこれは?と慌てました。
後でわかったのは、オウムの創ったサリンは不純物が多く
赤くならなかったのだろうとのことです。
洗浄作業が終わり誰かが安全の確認をしなくてはならない。
すると隊長がガスマスクを外して深呼吸したので、みんな
その勇気にビックリしました(映画ではよくカナリヤを連れ
てきますが、上九一色村の捜査でもその様子が写ってま
した。カナリアも災難です)。
話は変わって、その後隊長さんは昇格し、イラク戦争の
直前にPKOの輸送隊隊長としてゴラン高原に派遣されま
した。
着任してすぐカナダ人の司令官に挨拶に行くと、イスに
ふんぞり返って何しに来たんだという態度。後方支援とい
う自衛隊の任務が気に入らないらしく、どうせ撤退しに来
たんだろうと思ったらしい。目の前に応接セットがあるの
に勧めもせず、隊長さんは立ったまま。
司令官が、自衛隊の立場を知りながら意地悪く「お前た
ちは戦った事があるのか?」と聞くので、さすがに頭に来
て「我々はサリン事件で現場に一番乗りした」と言いまし
た。すると司令官はビックリして飛びあがり、応接セット
の方に案内されてコーヒーは出るわ、フルーツは出るわ。
当時イラクに化学兵器があるらしいと騒がれていた時期。
ゴラン高原のPKO部隊には化学防御部隊がいなかったの
で、「よく来てくれた」と歓迎され頼りにされてしまいました。
そのほか、イラクから退去する国連職員を救出に行くの
に、武器の使用を認めるか認めないかと、命のかかった
やりとりを電話で本国とした話など現場のリアルな話が
聞けました。
自衛隊というと一番に「日本の防衛」と思い浮かべますが、
最近では災害救助や鳥インフルエンザの対応、命をかけた
化学テロ対策や国際貢献など、いろんなところで活躍して
るのですね。