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2024年10月04日
400年続く「夜泣き」「かんむし(子どものストレスによるギャン泣きやイライラ)」など子育てのお悩み解決のお薬「宇津救命丸」
宇津救命丸の工場(兼本社)の敷地に入ると、正面に大きな長屋門があります。
造られたのは江戸時代中期で、巾 5 m長さ 24.5 m高さ 約7mあります。
長屋門としては大きい方で、鉄砲窓という武家風の飾りがあります。普通の長屋門より門の位置が高く(のちに若干かさ上げしています)、これは馬にまたがったお代官が、馬を降りずに通れるようにしたものと言われています。
以前は茅葺き(カヤぶき)屋根でしたが、次第に茅が採れなくなり、茅葺き職人もいなくなったことから、20年以上前に銅葺きにしました。また、新しく茅で葺いても、鳥が巣作りの為に持っていってしまい、長くもたないというのも理由の一つでした。
屋門の中には、住居や馬小屋、納屋などがありました。むかし、宇津家では身寄りやお金のない人たちの面倒をみていましたが、ある日長屋門が火事になった時、その人たちが濡らしたムシロをかけ、火を消してくれたそうです。
そして、門を閉めた後は、横の通用門から出入りしていました。
これは言い伝えですが、この乳房のような形をした金具が門にある家は、食料を乞い ても断らなかったということです。
江戸時代、長屋門を建てられたのは武家屋敷に限られましたが、宇津家は名字帯刀を許されていたことから認められたのではないかと思われます。
明治になると町は資金不足を補うため、お金を払えば建てる許可を出したとのことです。高根沢は米どころで豪農が多かったため、いまでもあちこちに長屋門がみられます。
江戸時代、地元を治めていた一橋家が画家に描かせた宇津家屋敷図が今でも宇津史料館に残っています。
中央やや上に長屋門が描かれています。長屋門以外でも現在まで当時と同じ場所で残っているものをたくさん見ることが出来ます。
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